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五代友厚パネル展 - この大阪の未来に尽くした生涯

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 「五代友厚 この大阪の未来に尽くした生涯」パネル展が大阪市中央区の三菱UFJ銀行大阪別館外壁ガラスウィンドウで行われている。船場を愉しむ8日間として開かれる「船場博覧会SEMBA EXPO2024」の一環で期間中、セミナー、まちあるきツアー、コンサート、展示などが実施される。11月16日~23日まで(15日は前夜祭)。

 

 幕末・明治期、近代日本経済の礎を築いた五代友厚。薩摩藩士から明治政府の役人を経て実業家となり、大阪商工会議所の初代会頭などを歴任した。1867年には日本のパリ万国博覧会初参加にも尽力した五代。2025 年日本国際博覧会(大阪・関西万博)の開幕を控える今、同パネル展では「大阪経済の父」と語り継がれる五代友厚の生涯を紹介している。

 

 なお、ここでは同パネル展で紹介しきれなかった内容を特集記事として掲載する。

 

※本特集記事では権利の都合によりパネル展で掲出している資料や写真の一部は掲載しておりません。

 

 

其の一 五代友厚像とその背景

大阪商工会議所前

1953年(昭和28年)設置

 

1878年(明治11年)、大阪商法会議所(現大阪商工会議所)初代会頭となる。没する1885年(明治18年)まで会頭職にあり、明治維新後停滞する大阪経済にあって、産業近代化を説き、商人達に新たな進むべき道を指し示した。なお、五代友厚は1867年(慶応3年)のパリ万博へ日本からの初出展にも尽力。来年の大阪・関西万博に向け今年35年ぶりに同像を洗浄、開幕に備える。

 

 

東京の商工会議所は、渋沢栄一が不平等条約を是正するために官主導のもと作ったが、大阪は五代の商人仲間が集まり殖産興業のために作ったものと言われている。
当時、大久保利通と江藤新平との間でまずは地方自治充実か国家論かとの論争があった。只、殖産興業の目的はあくまで国民のためであって、会社のためではない。会社の利益優先となるとグローバリズムに繋がる。グローバリズムが進みすぎると国民が見棄てられる。あくまで国家も会社も人間の真なる幸福を希求することに何があるのか?存在意義?人間の幸福とは自己だけの利益追求の中には見出しえない。
「買うての幸い、売っての幸せ」

 

五代友厚プロジェクト代表/映画「天外者」製作総指揮
廣田 稔

 

光世証券

2001年(平成13年)設置

 

五代友厚座像。光世証券本店ビル完成時に設置された。幕末に薩摩藩から英国に派遣された30歳頃の五代友厚の姿という。

 

中村晋也(彫刻家・文化勲章受賞)作

 

五代が、北海道開拓地払下げ事件に関与したことで、政商である、
と批判されたことから五代に縁のある団体がそれを隠すことが散見される中、光世証券は、会社の入口に五代像を置いている。
五代の右手に何を想い設置されたのか?
是非、光世証券の創始者、子孫にも会って話を聴きたい。
歴史を学ぶということは、成功者の記録なり成功談を覚えることではなく、歴史上に出てくるべき人が何故出てこなかったか探求することが肝要である。
その人の求める他者に出会いたい。

 

五代友厚プロジェクト代表/映画「天外者」製作総指揮
廣田 稔

 

大阪取引所

2004年(平成16年12月)設置

 

1878年(明治11年)6月、鴻池善右衛門、三井元之助、住友吉左衛門らとともに発起人となり、大阪株式取引所(現大阪取引所)創立願書を大蔵省に提出。筆頭株主の1人として同年8月15日開業。国民国家完遂に相互扶助・相互協力の精神をもって臨んだと考えられる。

 

中村晋也(彫刻家・文化勲章受賞)作

 

株式会社は起業する時の資金を皆で集める制度として始まった。
今はそのことより、投機的な手段としての面が強調され、投機的行為が正業として、時には目標とまでされることになってしまった。日経新聞の多くの紙面は株式投資情報である。
アメリカの投資家のために日本の会社法が改正される。法律家の中にはその改正された法までも全て正しいと思い込む輩もいる。
五代が画いた証券取引の行先・目的はあくまで相互扶助、相互協力を通して国民国家完遂にあるはずである。
五代さん答えてくれ!

 

五代友厚プロジェクト代表/映画「天外者」製作総指揮
廣田 稔

 

大阪府立大阪ビジネスフロンティア高等学校内
[大阪市天王寺区]

2011年(平成23年11月)設置

 

大阪市天王寺区の公立高等学校である。愛称は英語表記(Osaka Business Frontier)の頭文字を取ってOBF(オービーエフ)。
2022年に府立となる。銅像は学内にあり、外からは五代友厚像の後ろ姿を見ることができる。

 

 

同校の黒田誠先生と、五代友厚プロジェクトの安田良実の紹介で出会い、五代の映画を一緒に作ろう、学生も仲間に入れてほしい、と頼まれた。
教育が子供を真なる大人へと成熟させるプロセスであるとの自己覚知ができた先生であった。
討論ではなく対話のできる大人であった。又出会いたい。
五代の銅像が何を思性しているのか?何を希求しているのかを日々考察する学生と真なる対話をしたい。
学生よ、今後の五代友厚甲子園大会に参加せよ!
そこで大人になっていない大人を自己覚知させてみよ!

 

五代友厚プロジェクト代表/映画「天外者」製作総指揮
廣田 稔

 

大阪市立大学(現大阪公立大学)杉本キャンパス内
[大阪市住吉区杉本町]

2016年(平成28年)設置

 

大阪商業講習所をルーツとする大阪市立大学(現大阪公立大学)杉本キャンパス内の五代友厚像。

 

喜多敏勝(彫塑家・日展作家)作

 

五代は、1865年英国のロンドン大学の教授達が目指している教育のあり方に感銘を受け、日本産業を興すには教育が必要であると思った。
時の英国の教育はキリスト教に育まれたもので国民国家を育てるものであった。
ところがプロイセン憲法を取り入れた日本は、国家を強くしたいという気持ちが強すぎて全体主義を目指す教育を進んで行ってしまった。
その後の日本はどうなったか?そして今後どうすべきかを共に学んでくれと五代さんは叫んでいる。
教育に効率を求めるのではなく、五代が目指した教育とは?共に考察してみよう。

 

五代友厚プロジェクト代表/映画「天外者」製作総指揮
廣田 稔

 

 

其の二 五代友厚その人を知る

1942年(昭和17年)、織田作之助(1913-1947。太宰治、坂口安吾と並ぶ無頼派三大作家。代表作に「夫婦善哉」「五代友厚」他)が寄稿し、ナショナル経営資料(昭和17年11月号)に掲載された。当時の五代友厚の評価・実像を窺い知ることができる。

 

資料提供:パナソニックホールディングス株式会社

 

 

其の三 五代友厚概略年表

 

 

其の四 万博への先見

五代友厚と万博

五代友厚は、1867年(慶応3年)にパリで開かれた国際博覧会(万博)で、薩摩藩の展示場確保に尽力、日本の万博初出展を実現した。
1865年(慶応元年)4月、鹿児島串木野より19名の若者が渡英。内15名はロンドン大学へ、4名は欧州視察に向かう。
五代友厚は軍艦や紡績機械購入に奔走する一方、ベルギー人貴族・モンブラン伯爵の仲介で貿易会社設立やパリ万博出展を模索。
国際社会への参加、万博出展の下地作りに取り組む先見を既に発揮する。

 

 

万国博覧会 略歴

■1851年
ロンドン万国博覧会(第1回)/603万人


■1853年
ニューヨーク万国博覧会/115万人
23カ国/約4ヶ月


■1855年
パリ万国博覧会(第1回)/516万人


■1862年
ロンドン万国博覧会(第2回)/621万人
※日本の伝統工芸品が初めて展示された


■1867年
パリ万国博覧会(第2回)/906万人
42カ国
幕府・薩摩藩・佐賀藩が出品
ジャポニズムの契機となった
薩摩琉球国勲章(日本初の勲章)


■1970年
日本万国博覧会(大阪万博)/6421万人
77カ国/アジアで初めて


※参考資料:ネット国立国会図書館

 

 

其の五 五代友厚の大阪住居変遷

五代友厚は、15年余りの在阪時、多くを船場に住まう。
現在の大阪中央区(船場)に五代友厚銅像が多く存在するのは、大阪商法会議所や大阪株式取引所他、大阪経済の発展をこの地で担った証と言える。
銅像の存在、又、船場を中心とする住居変遷は大阪の商人文化の中心となった船場と五代友厚の切っても切れない縁を物語る。

 

大阪住居変遷

1872年(明治5年)時の古地図

 

※「大阪市中地区町名改正絵図」大阪市立図書館デジタルアーカイブより

 

 

■1835年(天保6年)12月26日
薩摩国鹿児島郡永田町に生まれる


■1868年(明治元年)2月
大阪東区備後町2丁目に居を定む ※❶


■1869年(明治2年)7月
大阪東区梶木町5丁目に転居 ※➋


■1870年(明治3年)1月
大阪東区備後町2丁目に仮住まい ※➌


■1870年(明治3年)11月
大阪東区平野町1丁目に転居 ※➍


■1871年(明治4年)12月
大阪西区靭北通1丁目28番地に転居 ※➎


■1885年(明治18年)1月
大阪北区中之島1丁目26番地に新居を移す ※➏


■1885年(明治18年)9月20日
大阪(大阪市北区中之島)に鹿児島より本籍地を移す


■1885年(明治18年)9月25日
49歳東京築地邸宅にて逝去


■1885年(明治18年)10月2日
大阪阿倍野に葬られる

1903年(明治36年)に建設された日本銀行大阪支店(大阪市北区中之島)

 

※「(大阪百景)日本銀行 明治三十年代後半」大阪市立図書館デジタルアーカイブより

 

五代友厚墓所(大阪市阿倍野区)

 

※「船場博覧会 SEMBA EXPO 2024」より

 

 

五代友厚プロジェクト since 2013
映画「天外者」、そして「五代友厚百年構想」へ。
五代友厚の生き様を次代に伝え、繋ぐ活動―

映画「天外者」
-実もいらぬ、名もいらぬ、ただ未来へ
(2019年クランクイン、クランクアップ)

 映画「天外者」は2013年、五代友厚の“想い”と“志”を次世代に継承するために製作総指揮の廣田稔、共同プロデューサー・鈴木トシ子はじめ、市民有志が立ち上げた「五代友厚プロジェクト」が、その活動の一環として取り組み制作した作品。
 主演・三浦春馬が、迫力と重厚な演技で五代友厚役を演じ切り、取り巻く盟友・坂本龍馬、岩崎弥太郎、伊藤博文らが、混沌と不安の時代を未来に生き抜く様が描かれている。まさに、今に問いかける歴史群像劇。
 2020年12月11日全国ロードショーされ、今なお年3回、全国約250館で1日上映されるなど、根強い支持とプロジェクトの想いが作品を色褪せさせることなく次代に繋いでいる。

 

 

五代友厚甲子園
(2016年~)

 五代友厚プロジェクトが、五代友厚の生き様を次代に伝える活動の一つ。高校生や大学生、中学生含め、五代友厚を知り、学び、その取り組みを検証し、自らが進む道や目標、課題、まわりの評価を恐れずに今何をすべきか考えることで、五代友厚の“志”を未来に伝え、繋いでいる。第9回目となった今年の五代友厚甲子園では、2次審査に残った8校から、栃木県立矢板東高等学校が最優秀に輝いた。

 

 

映画「天外者」上映会&トークセッション
(2021年~)

 今年2月10日(土)に扇町ミュージアムキューブCUBE02で開催された。映画「天外者」上映会の後、映画の内容をテーマに、廣田稔製作総指揮、元大阪府立大学理事で歴史家の正木裕さん、講談師の玉田玉秀斎さんらが、会場の参加者約80人を巻き込みながらトークセッション。「映画『天外者』を学校授業の教材に」「課題へ立ち止まらずとにかく1歩踏み出したい」などなど多くの意見が出た。

 

 

墓前祭
(2015年~)

 五代友厚の命日にあたる9月25日、大阪市阿倍野区の市設南霊園にある五代友厚墓所で祈りを捧げる取り組み。五代友厚プロジェクトメンバーや五代友厚の親族ら毎回おおよそ100人が訪れ、想いを馳せる。墓前祭の後には、映画「天外者」の上映会と廣田稔製作総指揮、講談師の玉田玉秀斎師他によるパネルディスカションなどが行われる。

 

 

 

五代豊子プロジェクト
(2019年~)

 五代友厚を支え、没後も借金100万円(現在の価値にして数十億円)返済に奔走、自身と血縁のない友厚の子を育て上げた奈良県田原本町出身の妻・豊子を〝明治の強き女性〟と位置付け、2019年以降五代友厚プロジェクトと連携、その存在を内外に発信する。今年10月に同町唐古・鍵遺跡史跡公園で行われたフォーラムでは、製作総指揮の廣田稔氏をコーディネートに、俳優の水野真紀さん、タレントの福本愛菜さん、高江啓史田原本町長らが、「五代友厚百年構想―五代イズムと五代豊子の包容・苦悩編」をテーマにトークを繰り広げた。

 

 

 

五代友厚プロジェクトメッセージ
結び

五代友厚様が愛してやまない大阪の街は、これからどんな変貌を遂げるのでしょうか。見守る人々の幸多き未来を願い、五代友厚パネル展の機会を頂き、ご尽力を賜りましたことに、感謝の念が堪えません。

 

2024年11月 五代友厚プロジェクト一同

 

 

映画「天外者」パンフレットより

五代友厚略年譜

 

「天外者」の公開に感謝して
五代友厚プロジェクト代表/映画「天外者」製作総指揮 廣田 稔

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