大和古寺・お参り日記【1】 - 正暦寺(上)
関連ワード:
正暦寺は992(正暦3)年、一条天皇の発願で創建された。「乙巳の変」(645年)以降、天皇家に親戚を増やし勢力を拡大していた藤原氏の中で、跡継ぎ争いから逃す人物を僧侶として預かり、政治以外の学問、文化を学ばせる場として栄えた。
主に京都からやってくる藤原家の出家者が都を恋しく思わないように、奈良では珍しく京都の文化に染められた寺となった。
信仰の部分でも京都の祇園信仰に倣い、インドの祇園精舎の守護神である牛頭天王をかつては山頂に祭っていたという。本尊は病に御利益がある薬師如来で、疫病から守ってくれる牛頭天王と共通する。
木々に囲まれた境内に足を踏み入れると、山の澄み切った空気が流れる。かつてこの場所は25万坪に及ぶ広大な宗教都市「菩提山(ぼだいせん)」として栄えた聖地。今その面影を見ることはかなわないが、周囲の山や豊かな川の流れは聖域としての神秘を感じさせる。
県内のお寺を巡るとき「どうしてここに寺が建てられたか」と思いを巡らすのが好きだ。諸行無常を見守ってきた土地や木々に寄り添い、先人たちの喜びや悲しみがこの場所でどのように昇華されてきたのか想像してみる。悠久の時の一瞬に自分を置いてみると、慌ただしい日々の悩みも不安も小さく感じられ、生命力が湧いてくるようだった。
境内の福寿院に安置されている「孔雀明王像(鎌倉時代・県重要文化財)」はクジャクに座った仏様。クジャクは華やかなその姿とは対照的に、恐ろしい毒蛇を好んで食べるという。悪いものを生きる力に変えるその姿は、本尊薬師如来の姿でもある。
孔雀明王は疫病によって人々の間に生まれた心の毒を取り除き、国の乱れを防ぐ役割も持つという。明王は厳しく恐いお顔の印象が強いが、この仏様はとても優しく慈悲に満ちた表情。尾羽を広げたような光背が輝いて見えた。
(文・伊藤波子 写真・藤井博信)
=次回は15日に掲載予定=
▽正暦寺/奈良市菩提山町/電話0742(62)9569。