日本の心のふる里、飛鳥の地に鎮座する古社 - 飛鳥坐神社・大和古社寺巡礼022

飛鳥坐神社(飛鳥坐神社)
※社寺名は、基本的に現在使われている名称によりました。
※( )内は、神社は『延喜式』神名帳による表記、寺院は史料にみえる表記です。
※記事中の写真の無断転載を禁止します。
日本の心のふる里・飛鳥の地の神奈備山に八重事代主命(やえことしろぬしのみこと)をはじめとする神々を祀(まつ)り、国の黎明期から国と人々の暮らしを見守り続けてきた古社

エリア/高市郡
御祭神/八重事代主命・下照姫命・高照光姫命・建御名方命
ご神徳/国家安泰・子孫繁栄・五穀豊穣・家内安全
ご由緒
飛鳥坐(あすかにいます)神社の創祀(そうし)は詳らかではありませんが、『日本書紀』天武天皇紀の朱鳥元(686)年7月5日条には「幣を紀伊国に居す国懸神、飛鳥の四社、住吉大神に奉りたまう」とあり、この飛鳥四社は『延喜式』神名帳に「飛鳥坐神社四座」と記載される当社だと考えられています(829年の現在地・鳥形山への遷座以前は4社、以後は4座と表現されています)。
また出雲国造(いずものくにのみやつこ)が新任にあたって上京し天皇に奏上する「出雲国造神賀詞〈かむよごと〉」(『延喜式』祝詞所収)のなかに「事代主命の御魂を宇奈堤(うなて)に坐せ、賀夜奈流美命(かやなるみのみこと)の御魂を飛鳥の神奈備に坐せて 皇御孫命の近き守神と貢り置きて」とあり、飛鳥坐神社の鎮座する飛鳥の神奈備に賀夜奈流美命が祀られていたことが分かります。
神賀詞に記載の飛鳥神奈備の場所には諸説がありますが、天武天皇が禁足地にされたと伝わる細川山・稲渕山の付近に「神の前」「神の谷」「御出座山」などの小字名も残り有力視されています。
この神奈備山は平安初期に神託があって、高市郡賀美郷の旧地から同郡同郷の鳥形山(現在地)に遷(うつ)されています(『日本紀略』淳和天皇天長6〈829〉年3月)。遷座当時は現在よりも社地も広く、同社の南西約200メートルにあった御旅所(天神山と伝えられ、現在の境内社・山口神社の旧社地であったと考えられています)なども含んでいたのではないかと考えられています(皇学館大学『式内社調査報告』第3巻)。
また『三代実録』には「貞観元(859)年九月大和国飛鳥社ニ使ヲ遣シ幣ヲ奉リ風雨ノ祈ヲ為ス」とあり、朝廷からも篤(あつ)い崇敬がありました。
江戸時代には高取城(高取町)の真北にあたる当社を藩主が鎮守とし、境内社も多く飛鳥大神宮や元伊勢とも称されて親しまれてきました。

江戸時代の『大和国飛鳥社図』には、境内手前の川(今は溝)に「みたらい橋」が架かり、その右前方に飛鳥井が描かれています。右下の鳥居は、現在は飛鳥井の手前に移されています。
御祭神
八重事代主命(やえことしろぬしのみこと)
下照姫命(したてるひめのみこと、飛鳥神奈備三日女神〈あすかのかんなびみひめのかみ〉)
高照光姫命(たかてるひめのみこと)
建御名方命(たけみなかたのみこと)
後述の【歴史のなかの飛鳥坐神社】⇒「飛鳥坐神社のご祭神」をご参照ください。
境内参拝・気が付かなければ…
※📸は撮影ポイント
※スマホを見ながら散策できるように、モデル順路
社号標 📸
大字飛鳥の集落から神社に向かって歩みを進めると、神さびた書風の社号標が迎えてくれます。

古社ならではの風格が
手水舎
手水鉢には飛鳥石が用いられています。また飛鳥時代の謎の石造物(川原寺北の飛鳥川畔で発見された出水の酒船石)をモデルにしたような流水設備から水が流れています。参拝の前に作法に基づいて手水をとり、心身を清めましょう。

飛鳥井
鳥居の手前右手に石の井戸枠があります。「飛鳥井」と称される名泉です。
「飛鳥井に宿りはすべし や おけ 陰もよし御甕(みもい)も寒し御秣(みまくさ)もよし」という催馬楽(古来の民謡の歌詞を雅楽の曲調にあてはめたもので、平安時代に流行した歌謡)の曲が石柱に記されています。

催馬楽にも詠われた飛鳥井
大鳥居
飛鳥坐神社の鳥居(明治45〈1912〉年建立)は、かつては飛鳥集落の入り口に建っていましたが、後に現在地に移されました。

石の大鳥居
祓戸神社
鳥居をくぐって右手に、祓戸(はらえど)神社が鎮座しています。ご祭神は大祓詞(おおはらえのことば)に登場する四柱の神々(瀬織津比売神〈せおりつひめのかみ〉・速開都比売神〈はやあきつひめのかみ〉・気吹戸主神(いぶきどぬしのかみ)・速佐須良比売神〈はやさすらひめのかみ〉)です。

石の階段
階段の石には「石階四十八級募縁発起」などと刻んだ部材があり、階段を寄進した際の記念であったようです。歴史の一こまを垣間見る思いがします。
石段を上がると左後方に二上山、畝傍山、甘樫丘を望むことができます。

石段の奉納者を記した石材
力石
石段を上った所に、力石があります。男性は左手で、女性は右手で石を持ち上げることができれば、願いが叶(かな)うとされています。

境内の石碑
境内には多くの万葉歌碑などが建てられています。探しながら、じっくりと内容を味わうのも楽しいひと時です。
下の写真は「斎串(いぐし)立て神酒(みわ)すえ奉る神主部(かんぬし)のうずの玉陰見ればともしも」(『万葉集』巻13・3229)と「待春の源となる神の石」(境内の陰陽石を歌った歌)の歌碑。この他に折口信夫、会津八一ほかの石碑があります。

拝殿・本殿
丹生川上神社上社(吉野郡川上村)がダム建設のために山手の地に遷されることとなり、吉野川の水辺に鎮座していた当時の建物は取り壊して処分することになっていました。しかし、縁あって平成10年に移築して、飛鳥坐神社の拝殿・本殿とされました。

拝殿の前で 二拝二拍手一拝のお作法で参拝。
神楽殿
有名な「おんだ祭」はこの神楽殿を舞台に斎行されます。
約300年前に建てられた当社の元・拝殿を移築・改修したもので、神楽殿の右手の西良殿の蛙股には、不思議な顔の彫刻が施されていますが、これは元・拝殿の柱に刻まれていたものです。


またぎ石
神楽殿の前には、女陰を象(かたど)った磐坐(いわくら)があります。これは拝殿、及び本殿を建築するための「博士杭(建物の中心を決める杭)」を打つための標(しるし)ですが、「またぎ石」と名付けられ、またいで安産を祈る風習があります。

むすひの神石 📸
拝殿すぐ前の道を右手に進むと、美しい形の陰陽石、むすひの神石が鎮座しています。「むすひ」とは、万物の生成(むす)の霊力(ひ)を表わし、息子、娘、苔(こけ)むすなどのむすとも関わる言葉です。

白髭神社
白髭(しらひげ)神社は、白髭大神(猿田彦大神)をお祀りしています。

八十萬神社
八十萬(やそよろず)神社は八重事代主命と共に天上界に進まれた祖神をお迎えしてお祀りする社です。普段は天上界をここから遥拝します。

八幡神社
明日香村大字飛鳥・東山の氏神として崇敬されています。江戸時代に当社に遷座されました。

中の社/八坂神社・金毘羅神社
八坂神社は素戔嗚尊(すさのおのみこと)、金比羅神社は大物主神をお祀りしています。また両社の間には陰陽石が並び祀られています。


奥の社/皇太神社・奥の大石
奥の社のご祭神は天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)、豊受大神(とようけのおおかみ)で、伊勢の神宮の内・外宮と同じ神をお祀りしています。
また奥の大石として、大きな陽石(高皇産霊神〈たかみむすひのかみ〉)が鎮座しています。
造化三神の一柱として知られる高皇産霊神は、天照皇大神と共に高天の原を主導される神で、結び、産み、育てる「むすびの神様」です。


陽石群 📸
境内の各地には、陽石が参拝者を見守っています。これは陽石を磐代(いわしろ/神の依〈よ〉り代)として山の神を迎えるという、古代からの信仰を伝えるものです。山の神を迎えると、冬の寒さを追いやり、明るさや暖かさがやって来る。そして花が咲き、花が咲くと稔(みのり)が生まれると信じられてきました。

飛鳥山口神社
ご祭神は大山津見乃神(おおやまつみのかみ)、久久乃知乃神(くくのちのかみ)、猿田彦乃神です。飛鳥の神奈備の岬に天神山があり、天神(天つ神)としてお祀りされていた社を現境内に遷しています。

歴史のなかの飛鳥坐神社
飛鳥の甘南備
飛鳥坐神社は、平安時代の初め(淳和天皇天長6〈829〉年3月)、「大和国高市郡賀美郷甘南備山飛鳥社、同郷鳥形山ニ遷ス、神ノ託宣ニ依ルナリ」と『日本紀略』(平安時代の歴史書)に記されているように、神の託宣があって現在地に遷されています。
平安時代以前の飛鳥坐神社の地・飛鳥神奈備山(甘南備山)には、雷丘や明日香村大字橘と大字稲淵の境にある小字ミハ山(岸俊男説)など諸説があります。
しかし付近に「コーノマエ」「コーノタニ」「オデヤマ」などの小字名が残り、天武天皇が禁足地とされたと伝わる細川山・稲渕山(大字坂田)が有力視されています。
飛鳥坐神社のご祭神
『社家縁起』の記載によると、現在の飛鳥坐神社のご祭神は、八重事代主命、下照姫命(飛鳥神奈備三日女神)、高照光姫命、建御名方命の4柱の神々です。
事代主命は、『日本書紀』神代下第9段の第2の一書に、「是の時に帰順ふ首渠(ひとごのかみ)は、大物主神及び事代主神なり。乃ち八十万の神を天高市にあつめて、ひきいて天に昇りて、其の誠款の至りをもうす」とあり、国譲りに功績のあった神として記されています。
下照姫命は、その御魂である加夜奈留美命と共に祀られ(下照姫命と加夜奈留美命は同一神ともされる)、当社においては飛鳥神奈備三日女神の御神名でお祀りされています。事代主命の異母妹神です。
高照光姫命は、『古事記』『日本書紀』には記載のない神ですが、五穀豊穣(ほうじょう)、家内安全、事業安定、国家安泰の神とされています。
建御名方命は大国主神の御子神であり、国譲りの神話でも知られる武勇掲揚の神。
飛鳥坐神社は歴史が古いだけに、ご祭神についても諸説があります。
例えば『大神分身類社鈔』では事代主命、高照光姫命、木俣命、建御名方命。『五郡神社記』では大己貴命(おおなむちのみこと)、飛鳥三日女神、味鋤高彦神(あじすきたかひこのかみ)、事代主神としています。また『出雲国造神賀詞』には「賀夜奈流美命能御魂乎飛鳥乃神奈備爾坐天(賀夜奈流美命の御魂を飛鳥の神奈備に坐せて)との記述があります。
狂心の暗(たぶれこころのみぞ)
平成11(1999)年に飛鳥東垣内遺跡で、7世紀中期の大溝の遺構が発見されました。この大溝は、『日本書紀』の斉明天皇紀に記されている狂心の渠(たぶれこころのみぞ)だと考えられています。
斉明天皇2年、石上山(いそのかみのやま/天理市)の石を運んで石垣を造るために、飛鳥の地まで渠(みぞ)を掘って200艘の船で運んだと記され、当時の人々はこの事業を謗(そし)って、渠を「狂心の暗」と呼んだそうです。また石垣は酒船石遺跡の近くから見つかっており、その石材も『日本書紀』の記述通り石上山の石でした。
飛鳥坐神社の鳥居や駐車場あたりの地中には、「狂心の暗」の遺構が眠っています。
神々の都でもある飛鳥
『延喜式』神名帳に記載の神は、「大和と出雲と伊勢に多くの神社がある。大和では高市郡は五四座(大三三座、小二一座)で一番多く……全国の大神の一五分の一がこの高市郡にあることは、歴史的に由緒の深いことを物語っている。ここは橿原・飛鳥宮を中心とする地域であり、神々の都でもあった」(乾健治『大和の古社』学生社)とされてます。
宝物の鋳造大神鏡
明和5(1769)年に京都の鏡師・稲村備後によって鋳造された、直径122センチの大きなご神鏡が伝わっています。現在進められている参集殿の再建が完成すれば、参集殿に奉安されることとなっています。

ここだけの…はなし
飛鳥氏
飛鳥坐神社の神主は代々、飛鳥氏が務めてきました。天事代主命の7世の孫にあたる初代・直比古命が崇神天皇の御代に大神朝臣飛鳥直の姓(かばね)を賜ったと伝え、現宮司は87代目にあたります。
国文学者や民俗学者として知られる折口信夫も、83代飛鳥助信の子である造酒ノ介の孫でした。「ほすすきに 夕ぐもひくき 明日香のや わがふるさとは 灯をともしけり」と歌を詠んでいます(境内に歌碑があります)。
境内の陰陽石
境内には多くの陽石(男根形の石)が祀られています。「石製または木製の男根形のものを奉納する神社は、日本中に少なくなく、たとえば愛知県北部の田県神社などは有名で、祠(ほこら)の中に何百本という男根形が納められている。なお同社の姫宮の背後には女陰形の巨岩があり、ご神体になっている。
これらは、もともと道祖神とか塞(さい)の神といわれ、村境や四つ辻などに立てられ、その偉大な生成力で、外から村に侵入して来る疫病神をはじめ、さまざまな悪霊・邪神を追い払ってくれる神としてまつられ」ました(横田健一『飛鳥の神がみ』吉川弘文館)。

おんだまつり
天下の奇祭として知られるのが、飛鳥坐神社の大祭「おんだ祭」(毎年2月第1日曜日)です。その年の豊作や子孫繁栄を祈る予祝行事のひとつで、春迎えの行事でもあります。
「まず天狗(てんぐ)と翁の面を付けた人がササラになった青竹の棒で参拝者のお尻を叩きます。叩くことはお祓いの意味があります。祓うということは、神さまのお力によってきれいにしてもらおうということです。昔から布団や洗濯物を棒で叩いていましたが、叩けば悪いものが出て行くのですね。また叩くということは、力をみなぎらせるという意味もある。地面を叩いて、神さまに早く起きてください、冬を追いやって春が早く来てくださいと願う意味もあります。この後、拝殿の上で修祓(しゅばつ)、献饌、祝詞奏上などの祭式が行われ、牛や唐鋤(からすき)を使いながら田起こし、種まき、松苗を植える田植えなど、米作りの所作が行われます。そして天狗さんとお多福さんが結婚式をして、夫婦の契りを結びます。契りが終わって花紙を撒(ま)くのですが、「ふくの紙」といわれるこの紙を持って帰り、夜に使うと赤ちゃんが授かると言われ、子授けを願って参られる方も多いのです。おんだ祭には、この夫婦の契りの所作のように、お米も実を結び、豊作になるようにという祈りが込められています」(飛鳥坐神社・飛鳥弘文宮司/『大和学講座』講演より)。
和合のお守り
飛鳥坐神社の特殊お守りに「陰陽守」があり、男・女のシンボルが表裏に象られています。縁結びや開運、金運に御利益があるとされています。
筆塚
神社の鳥居の右手、祓戸社の後方に筆塚があります。この前には「坐」と刻印された小さな焼き物の丸い玉が、名前を記して供えられています。これは、魂石といって、「魂を筆先に集中することができますように」という願いを込めて・・・

主要な祭礼の内容と日時
飛鳥坐神社では年間を通して数多くの祭祀が斎行されていますが、そのなかから主な祭典・神事を紹介します。
※日程は通例の日時です。ご参拝の節は神社社務所にご確認下さい
1月
1日/初詣、元旦祭(午前0時~)
一年の始まりを寿(ことほ)ぎ、国家の安泰と人々の家内安全、商売繁盛などを祈願。
2月
第1日曜日/おんだ祭
春を呼ぶお祭りで、稲の生長・豊穣、縁結び、子孫繁栄などを祈願する。天狗やお多福らが田植えの所作や結婚式、夫婦和合の儀式を行い、西日本三大奇祭の一つとして知られる。
6月
30日/夏越の祓(午後4時~)
大祓詞を唱え、人形を用いて半年間の穢(けが)れを祓い、茅の輪をくぐって無病息災を祈る。参列者には「茅の輪守」が授与される。
11月
23日/新嘗祭
12月
31日/年越の祓(午後4時~)
新たな年を迎えるにあたり、心身を清め祓うお祭り。
飛鳥坐神社の基本データ
参拝の時間 境内の散策、摂社・末社の参拝は自由(およそ午前5時30分より午後5時30分まで)。
御祈祷や御朱印 各種御祈祷(きとう)は、事前に電話で予約。御朱印は鳥居をくぐって左手の授与所で受付。
授与品 飛鳥坐神社特製一願成就守、陰陽守、結び守などがお薦め。
アクセス 〒634-0103 高市郡明日香村飛鳥708。駐車場あり(約10台)。近鉄・飛鳥駅から徒歩約30分。または近鉄「橿原神宮前」駅東口もしくは「飛鳥」駅より、奈良交通・明日香周遊バスに乗車、「飛鳥大仏」下車、徒歩3分。
連絡先 電話:0744-54-2071