奈良と徳川家康【8】 竹村道清 家康を道案内か - 竹内峠(奈良県葛城市、大阪府太子町)

徳川家康の三大危難の一つ「伊賀越え」で、奈良県を通ったとする「大和越え」説。歴史作家の上島秀友さんは、その際に家康の逃走を助けたと文献に残る竹村道清(みちきよ、1561〜1635年)に着目する。
「今度大和越之節、落度なき様めされ給り、忝存候(かたじけなくぞんじそうろう)」(このたびの大和越えの際には、失敗のないようにしてくださり、ありがたく思います)
本能寺の変が起きた「天正十(1582)年午六月」の年月が書かれた家康の感状。家康の花押や朱印のある文書「東照宮御判物」で、本人自ら大和越えを記す点で注目される史料だ。そして家康が謝意を示した宛名には竹村九兵衛(道清)が名を連ねる。