金曜時評

言葉は「心の財産」 - 編集委員 辻 恵介

 ノーベル賞の受賞ラッシュにわいた先週、記者会見などでの受賞者のコメントや恩師とのつながりなどを見たり聞いたりしているうちに、あらためて恩師と教え子という関係に目がいった。礼節をわきまえた関係でありながら、自由で独創的な発想を何よりも大事にした日本の科学者たちの系譜を垣間見ることができた。そんな時、なぜかふと故西岡常一棟梁(とうりょう)のことが頭に浮かんだ。



 「最後の宮大工」と呼ばれた西岡さんの生誕100年を記念する行事が先月27日、地元の斑鳩町で開かれた。参加はできなかったが、新聞記事からは業績や人柄をしのぶだけでなく、その精神や心を後世に伝えていこうという関係者らの意気込みがうかがえた。



 弟子の小川三夫さんは「初仕事は納屋の掃除だったが、西岡棟梁は法輪寺三重塔の再建の仕事をしていて、納屋にその図面があった。図面を見て学べということだと分かった」と、口には出さないで学ぶ道を教えた師匠の気配りについて触れた。また、「次の世代に(技を)残すのにウソや偽りがあってはならない」「いまを一生懸命やっておけば1300年前の工人と対話することができる」「本物を造れば技術はよみがえる」といった語録も紹介していた。食品偽装をはじめニセもの、まがいものが世にはびこり、目先の利益追求のみに走る輩が横行する今の世の中を見通していたかのように、語録の一つ一つが世情の一端と符号している。



 法隆寺門前にある観光案内所・法隆寺iセンターの2階では、「西岡常一の世界」として、棟梁の足跡をたどり、木の文化を伝える大工道具やパネルなどの展示が常設されている。以前、訪ねた時、ゆかりの品々を見ながら聞いた西岡さんの肉声テープは、心に響くものであった。今から考えると、それは小川さんが「棟梁は大きな大木だった」と話した、その存在感に包まれたからなのかもしれない。



 少し話が飛ぶが、筆者の頭の片隅から離れない言葉がある。小学校1年生の時に、川崎という名の校長先生が朝礼のたびに繰り返し言っておられた「なすことによって学ぶ」というフレーズがそうだ。どういう意味なのか分からないまま今日まで生きてきたが、折にふれ思い出す。「行動することが大事だよ。その繰り返しによって学びなさい」といったことなのかと勝手な解釈をしている。



 それにしても40年以上も前のことながら、小一の脳裏にこの言葉を焼き付けた先生の話術、というか「言葉が持つ力」というものに、あらためて感心させられる。そう考えると、普段何気なく使う言葉に、日本人はもっと神経を使うべきではないかと思う。他人を傷つけ、おとしめる言葉がテレビから流れ、子どもたちが意味も分からず使っている現状がある。特に教育に携わる人たちには、子どもたちに対して、美しい言葉を選んで使ってほしいと切に願う。



 ノーベル賞絡みで思い出した話がある。昭和40(1965)年の10月ごろ、当時の王寺町長が、町民が等しく永遠に「生活の教訓」として各人の胸に刻みうる「ことば」を誰か有名人から受けたいという希望を出した。教育委員の1人が「日本人として最初のノーベル賞を受けられ(昭和24年)、物理学者として最高峰にある湯川秀樹博士こそ、万古不易の教訓をたまわる最適の人」と答え、その委員が博士に直接依頼した。町の歴史や住民について再度の説明を受けたりしているうちに月日は流れ、3年後の秋、委員が博士に呼ばれ、博士直筆の巻き物を渡された。



 「一日生きることは 一歩進むことでありたい」



 やがてこの訓を石ぶみにして、昭和44年2月11日、王寺小学校の校庭で除幕式が行われたという。(「奈良ふるさとのはなし」乾健治著、奈良新聞出版センター=絶版=より)。



 科学者らしい、奥の深い言葉が胸にしみいる。惰性ではなく、1日1日を大切にして生きること…。こちらもまた後世まで伝えたい郷土の「心の財産」である。

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