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奈良県生駒山麓で醸(かも)す美酒は辛くて呑みごたえあり - 大和酒蔵風物誌・第6回「菊司 菩提酛」(菊司醸造)by侘助(その1)

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うんちくを語るより 辛口で呑み応えのある酒を

 昨今、ホームページにこれでもかというほど情報を詰め込む酒蔵が多いなかで、菊司醸造(きくつかさじょうぞう・奈良県生駒市小瀬町)のそれはずいぶんあっさりしている。素材についての説明も、造り方についての解説も、300年を超える蔵の歴史の変遷も、必要最小限の言及があるだけで、われら日本酒ファンがしばしば求めがちな、お酒の向こうにあるきらびやかなうんちくはどこにもみあたらない。

 

 こだわりのある酒造りをしていればいるほど言葉が多くなっていき、その結果として今や最大のPRツールといっていい自社サイトでそれを披露したくなるのはごくあたりまえの心情。それなのに、この酒蔵のサイトがそうでないのには、蔵がPRにさほど積極的でないのか、蔵元がデジタル系によほどうといのか、あるいは独自の考えから敢えてそうしているのか。

 

菊司醸造

 

 蔵を訪ねて十三代目蔵元の駒井大さんと話しはじめたら、その理由がすぐにわかった。

 

 「最近はやりの吟醸系のお酒にはあまり関心がないんです。呑み口がすっきりしていて香り高い吟醸酒は確かに美味しいにはちがいありませんが、たとえばいくつかの純米酒と並べて呑み比べてみたら、意外とインパクトがない。食事しならが呑んだときに知らない間に進む酒、辛口で呑み応えのあるお酒がやはり一番だと思います。なんやかやとうんちくを語るよりも、そんな辛くて呑み応えのあるお酒を造るのが自分の仕事だと思っています」と駒井さんは話す。

 

 

蔵元が杜氏を兼ねる先駆けに

 大学を出てしばらくサラリーマンをしていたが、平成7年、30歳のときに家業を継ぐために蔵に戻ってきた。ところが帰って2年目の大晦日に蔵の杜氏が急逝する。

 

 「今でもはっきりと覚えています。当時の杜氏は、酒造りの時期になると、(兵庫県の)但馬から蔵人たちともども住み込みできてもらっていました。秋から冬にかけて仕込みをして、大晦日になると蔵人たちは里帰りしますが、杜氏だけ残ってお酒のお守りをします。蔵人たちが帰省するその当日の朝、杜氏さんが起きてこないものですから、蔵人が起こしにいったらすでに冷たくなっていた。それはもうたいへんでした」。

 

 

 酒造りの中心を担う杜氏を失った蔵をどうするか、年が明けて再び蔵に戻ってきた蔵人たちと相談した結果、駒井さん自ら杜氏をやるのがいいという結論に至った。

 

 「当時60軒ほどの蔵元がありましたが、蔵元が杜氏を兼ねるというケースは稀でした。その意味では先駆けといっていいかもしれません。ただ、蔵で酒造りを見ながら育ったとはいっても、素人同然だったので、蔵人の皆さんに助けてもらいながら、酒造りを学んでいきました。それに当時の油長酒造(御所市)社長や倉本酒造(奈良市都祁)社長にはずいぶんとお世話になりました」。

 

 そうこうして必死に酒造りに励むうちに春になった。この調子なら何とかいけそうだと、新米杜氏として次のシーズンにも臨んだところ、造ったお酒が、県の品種鑑評会で賞をもらった。

 

 「賞を頂いたのはたまたまですが、それから、蔵元杜氏として酒づくりについて改めて一から見直すことになりました。いつまでも蔵人さんたちが来てくれるとはかぎりませんしね。それまでの杜氏さんや蔵人さんたちの酒造りは工程がきっちり決まっていて、段取りが正確な分、無駄にみえることもままありました。帳簿についても同じです。そこで、もっと簡単にできる方法はないか自分なりに考えて無駄を省く努力をしました」。

 

品種鑑評会での賞状品種鑑評会での賞状

 

 前任の杜氏さんが亡くなって4,5年で蔵人は来なくなっていたが、そのときにはすでにかれらに頼らなくてもお酒造りができるノウハウを確立していた。

 

 「周りからはすごいですね、と言われましたが、自分としてはそんなにすごいとは思わなかったですね。とにかく簡単さを追求した結果でしたから。」と駒井さんは話すが、おそらく、この方が単なる杜氏にすぎなかったら、きっとこれはできていない。

 

 蔵元として蔵の経営、管理をつねに意識していたからこそ実現できたのはまちがいない。今では駒井さんと同じように杜氏を兼ねる蔵元は少なくないが、この方の場合、先例のないなか手探りでそれを確立したというのは、やはり「すごい」にちがいない。

 

蔵の主力商品たち

 

 

清酒発祥の地・正暦寺に伝わる「菩提酛」

 今回、この蔵の主力商品のひとつ「くらがり越え」の生原酒を呑んで、その呑み応えと辛口にしびれて取材を申し込んだが、インタビューを進めるうちに、「菩提酛(ぼだいもと)」をぜひ試したいという思いに駆られた。

 

 「菩提酛」といえば、正暦寺で現代の酒造りの原型として開発された製法で、より合理的な製法が生まれて近代になって途絶えていたのを、平成8年「奈良県菩提酛による清酒製造研究会」によって復元された。現在同会は県内7つの酒蔵で構成されているが、発足当初は15軒あった。駒井さんは奈良独自のこの酒造りに当初から関わっていたという。

 

 「当時の奈良の酒蔵のほとんどが大手の酒造メーカーにお酒を卸す『桶売り』をメインにしていましたが、機械化が進んで需要も減り、将来先細りしていくのは目に見えていました。そこで、奈良を売りに出せるお酒をつくれないかと思案していたところ、正暦寺に『菩提酛』という製法が伝わっていたことに着目したのです。文献をひも解き、奈良工業試験場からも協力を取りつけて、菩提酛に不可欠な正暦寺の酵母や乳酸菌の発見に成功して『菩提酛仕込み』のお酒が実現しました。この取り組みを中心になって進めたのが、ずっとお世話になっていた油長酒造さんと倉本酒造さんで、私はこの大先輩たちのお手伝いというか使い走りとしてあちこち飛び回りました。その分、思い入れもひとしおです」。

 

菊司 菩提酛 純米

 

 現在、日本酒は、米と水と麹に酵母を加え、まずお酒の元となる酒母をこしらえて、これに再び米、水、麹を何段階(通常三段階)かに分けて注ぎ、発酵させて造る。酒母を用いた製法ができる以前は、甕や桶でまとめて造るやり方が一般的で、室町時代に書かれた『御酒之日記』には正暦寺でもそのように造られていたことが記されている。

 

 だが、江戸時代初期に書かれた『童蒙酒造記』には、同寺で酒母を用いて製造していたとの記録がある。正暦寺は菩提山とも呼ばれるから、昔ながらの製法で造られた酒を「菩提泉」、それが酒母を用いた製法に変化したものを「菩提酛」というようになった。残された文献だけで類推すれば、まさにお酒づくりの中世から近世への転換がここ正暦寺で起こったことを、それは示唆している。奈良が清酒発祥の地だといわれる所以である。

 

 駒井さんによれば、菩提酛づくりの一番のポイントはその工程にあるという。先ほど述べたように、現代の酒母づくりは米と水と麹に酵母を加えて行われるが、菩提酛では、その水に「そやし水」を使う。生米を仕込み水につけて3日ほど寝かすと乳酸発酵が進んで乳酸性の強い水ができる。これが「そやし水」で、菩提酛造りにおける酒母はこの「そやし水」に米と麹、それから酵母を加えて造られる。乳酸菌には雑菌を殺す役割があるから、このおかげで雑菌の繁殖しやすい夏でも酒造りが可能になった。駒井さんたちの尽力によって現代に蘇った菩提酛は、これに習って正暦寺にいる自然の乳酸菌と酵母を用いて酒母をこしらえて、これを発酵させてお酒に仕上げる。

 

 

 「当初は、記録に伝わる製法に忠実に再現していましたが、甘くて酸味の強いその風味のせいでファンが限定されかねないという理由から、研究会発足10年目くらいで方針転換して、正暦寺で造った酒母を各蔵が持ち帰って、それぞれの持ち味を生かした仕込みをして商品化することになりました。研究会に所属する蔵は廃業などによって現在は7つになりましたが、それぞれに個性のある「菩提酛」をより広い層に届けられていると自負しています。もちろん、高い品質を維持しなければならないので、会員同士で毎年品評会を開いてダメなものは世に出さないというチェック機能も設けています」。

 

 

菊司ブランドの菩提酛を味わう

 そのような過程を経てできたのが、今回紹介する「菊司 菩提酛純米」である。酒好きの性分として、そんな話を聞いて呑まないという選択肢はない。しかも、駒井さんがそれを「うち好みの辛くて呑みごたえのある味に仕上げた」なんていうからなおさら。帰りに一本分けて頂いて早速家呑みで賞翫(しょうがん)した。

 

 純米のぐっとくる味わいと引き締まった辛さは当然この蔵の他の商品と変わらない高い品質を維持しているが、「菩提酛」はそのうえに米の芳醇な雑味が口蓋に豊かに広がる感じがあってより深みを実感できる。駒井さんからあんな話を伺っていたので、多少心理的にバイアスがかかっていたのかもしれない。それでも、「旨い、旨い」と独り言(ご)ちながら「知らない間に進」んでしまったところから判断しても、今回の主役にこのお酒を選んだ甲斐は十分にあったというものだ。

 

十三代目蔵元の駒井大さん

 

 「酒造りで慢心や押しつけがあってはダメ」と駒井さんは訴える。「よく造り手が消費者に自分のところのお酒を勧めて『美味しいでしょう』と半ば無理強いしているような光景を目にしますが、好き嫌いはひとぞれぞれで、10人いれば10通りの好みがあると私は思っています。もちろん、自分が旨いと思った最高の酒を出荷していますが、それが必ずしもおおぜいの方の口に合うとは限りません。そんなときは、ただ『お口に合わずにすみません』と思うだけです。結局、お酒が旨いかどうかというのはそれだけのことで、それ以上でも以下でもない。だから、それをそれらしいうんちくで取り繕おうとしても、メッキはいつかは剥がれてしまうでしょう。だから、うちのお酒を語るのに言葉はそれほど要らないんです」。

 

 駒井さんはよく奈良の街に呑みに出かけて、他の酒蔵がどんなお酒を出しているか試しているそうだ。もちろん、お店が仕入れているくらいだからそれらは美味しいに決まっている。

 

 そんなお酒を味わいながら、自分のところのお酒を恐る恐る呑む。他と比べて遜色ないか、ひけを取ってはいないか。いつもびくびくしながら、その都度「大丈夫、大丈夫」と安心して帰るそうだ。この方、大きな体格で自信にあふれた話し方をされるので、いかにもうんちくを押しつけそうな人物にみえるが、実際は見かけとずいぶん違う。本当の性格というのは、自分が真剣に取り組んでいるところに表れるものだ。駒井さんの場合、それは、「菊司」ブランドの繊細で寡黙な主張に表れている。(その2に続く)

 

読者プレゼント 「菊司 菩提酛」を抽選で3名様に

 今回紹介するお酒「菊司 菩提酛」を奈良新聞デジタル会員登録者にプレゼントします。ご希望の方は下記のURLからご応募ください。奈良新聞デジタル(無料会員含む)読者の中から抽選で計3名の方に賞品をお届けします。締め切りは2024年7月31日。当選は発送をもってかえさせていただきます。

https://www.nara-np.co.jp/special_present/

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