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金曜時評

陵墓の変更議論を - 編集委員 高瀬 法義

 明日香村と関西大学の共同発掘調査で、中尾山古墳(同村平田、8世紀初め)が「真の文武天皇陵」であることが確定的となった。

 墳丘が3段築成の八角形であることを改めて確認。墳丘の外周に広がる3重の敷石や墳丘を覆う基壇状の石積みなどを検出し、特異な形状を持ち非常に丁寧な造りの古墳であることが分かった。

 八角墳は天皇など高貴な人物の墓とされ、中尾山古墳の近くにある天武・持統陵の野口王墓や天智天皇陵に治定(ちてい)された御廟野古墳(京都市)などが挙げられる。

 さらに中尾山古墳は埋葬施設に蔵骨器を納めた火葬墓。日本書紀によると、飛鳥時代に火葬された天皇は天武・持統両天皇のほかには文武天皇だけだ。今回の調査成果により、研究者の間でも同古墳が「文武天皇陵に間違いない」との声が多い。 

 文武天皇陵は中世には所在不明となり、極彩色壁画が見つかった高松塚古墳(同村平田)や野口王墓のほか、中尾山古墳も候補になった。しかし、明治14年、中尾山古墳の南約400メートルにある栗原塚穴古墳(同村栗原)に定められ、現在も変わっていない。

 天皇陵を巡っては、宮内庁の治定と最新の学術成果との間に齟齬(そご)が生じるケースも多い。同じ八角墳の牽牛子塚(けんごしづか)古墳(同村越)も、発掘調査で斉明(皇極)天皇陵であることがほぼ確実。しかし、陵墓を管理する宮内庁は現在のところ、陵墓の変更については否定的だ。

 確かに、古事記の編さん者で知られる太安万侶(おおのやすまろ)墓のように墓誌でも出土しない限り、墓の被葬者の特定は難しい。また、現在の文武天皇陵をはじめ定期的に祭祀(し)が営まれる陵墓もあり、地元住民の心情を考えると変更は簡単ではないかもしれない。

 しかし、陵墓は日本国憲法が定めた国の象徴である天皇の歴史を考える上で貴重な史料だ。その所在地を定めるためには、学術的な知見を加味するべきであり、変更についても柔軟に考えるべきではないか。

 昨年、仁徳天皇陵に治定された大山古墳(堺市)をはじめとする「百舌鳥・古市古墳群」が世界遺産に登録され、天皇陵に関する国民的な関心は高まっているといえるだろう。今回の中尾山古墳の発掘調査成果で関心がさらに高まり、天皇陵の変更を巡る議論が活発化するきっかけになることを願いたい。

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