金曜時評

30年前が面白い! 回顧・激動の政治 - 特別編集委員 北岡 和之

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 第2次石破内閣が船出した。自民、公明両党の連立による、30年ぶりの少数与党内閣である。衆院本会議での首相指名選挙で決戦投票となったのも30年ぶり。そういえば「失われた30年」というのもよく聞く。当時、何があった~

 

 1993年7月の第40回衆院選(最後の中選挙区制)で、自民党が初めて過半数割れ。少数与党連立の細川内閣が誕生した。だが94年4月、羽田内閣(首相は自民離党の羽田孜・新生党党首)が発足。ところが同年6月、村山内閣(自民、社会、新党さきがけ3党連立。首相は村山富市・社会党委員長)が発足した。村山首相の自衛隊合憲発言が注目された。同年12月、新進党が発足。96年10月、第41回衆院選が初の小選挙区比例代表並立制で行われた。この間には95年1月に阪神大震災があり、3月にオウム真理教の地下鉄サリン事件が起きた。

 

 ところで、先の自民党総裁選で最後まで争った石破茂首相と高市早苗氏(衆院・奈良2区)。両氏は約30年前の波乱に満ちた政治状況の渦中にあった。

 

 高市氏は、第40回衆院選で初当選(無所属)。94年4月、自由党の結党に参加。柿沢弘治党首が羽田内閣で外務相に就任したため、与党の一員となった。この後、新進党の結党に参加し、第41回衆院選で同党公認で再選を果たした(当時の奈良1区)。選挙後に自民党に入党した。

 

 石破氏は、初当選は1986年7月の第38回衆院選(自民党)。93年6月の宮沢内閣不信任決議で賛成したが、離党せず。第40回衆院選は無所属で当選、自民党に復帰するが、細川内閣の政治改革関連法案で同党の方針に反して処分を受けた。結局離党して新生党に参加。次に新進党に参加したが、第41回衆院選の直前に離党して無所属で出馬し当選。97年3月、自民党に復党した。

 

 こうした両氏の経緯は、どこかよく似ている。批判も多い。

 

 石破内閣は「自民党の裏金問題(政治とカネ)」「年収103万円の壁」などの内政課題はもちろんのこと、外政的にも厳しい政権運営が続くと予想される。

 

 外交面では、やはり中心は米国との関係だ。来年1月に返り咲くトランプ大統領とどう付き合っていくか。世界が大きく変わった原点は1991年のソ連崩壊。以後、米国は世界戦略上、日本を手放せなくなった。私の推測だが、高市氏は再び動き出す。いや、動かざるを得ないと言うべきか。日本の政治を占う鏡になると思う。

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