国原譜

藤原不比等は710年の藤原京から平城京…

 藤原不比等は710年の藤原京から平城京への遷都を主導。古代法典の大宝律令と、その改定版の養老律令の編さんに携わり、律令国家成立の立役者といえる。

 さらに長女の宮子を文武天皇の夫人とし、その子の首皇子(聖武天皇)も娘の光明子が皇后となった。天皇家との関係強化を図り、後世の藤原氏繁栄の基礎となった。

 その名のとおり、「比べる者がいない」ほどの存在。にもかかわらず、大化の改新で有名な父の鎌足や、平安時代に摂関政治を行った子孫の道長と比べるとやや影が薄い。

 鎌足と兄・定恵との3人の画像は今も多く残るが、不比等の単独の画像は数えるほど。墓の正確な場所さえ分からない。

 来年は不比等没後の1300年の節目。不比等が創建した藤原氏の氏寺、興福寺では5月3日、昨年300年ぶりに天平と変わらぬ姿で再建された中金堂で1300年御遠忌式を営む。式には藤原氏の氏神、春日大社から神職も出仕する。

 不比等は現在の奈良の原型を築いた人と言っても過言ではない。この機会にその功績を改めて見直してみたい。(法)

 

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