奈良と徳川家康【5】 家康奉納と考えられる石燈籠 - 春日大社(奈良市春日野町)
徳川家康が大阪冬の陣(1614年)の際、木津で真田幸村に敗れて奈良に逃げ、桶屋に隠れたという伝説。「家康の強運」として収録する高田十郎編『大和の伝説』(1933年)には、次のような続きがある。
桶の中から出た家康は再び幸村に追われ、春日大社の本殿の中に隠れた。幸村は境内の祠(ほこら)を三つまで槍で突き、四つ目を突こうとしたところ、見ると本殿だったので遠慮して立ち去った。今度も家康は九死に一生を得ることができたー。
そんな伝説もあったという奈良市春日野町の春日大社には、家康ゆかりとみられる石燈籠(どうろう)が存在する。同大社の正門「南門」前に位置し、高さは約2.1㍍。火をともす火袋が木製の「御間(おあい)型」と呼ばれる型式で、徳川家の家紋「葵紋」をあしらった飾り金具が目を引く、豪華なつくりだ。2016年に金色に輝く当時の姿に復元された。火袋をのせる中台の四面にも葵紋がめぐる。
石燈籠に刻まれた「施主長福」は、幼名を「長福丸」と名乗った徳川頼宣(よりのぶ)のこと。頼宣は家康の十男で、家康に愛されて紀州徳川家の初代藩主となった。
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