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【富雄丸山古墳 特集】出土品(2022年度調査)

 2022年度の調査で墳丘北東に取り付く「造り出し」で粘土槨(かく)と呼ばれる埋葬施設を確認。木棺を覆う粘土から類例のない盾形銅鏡と、古代東アジアでは最大の鉄剣・蛇行剣を発見した。23年度は木棺の調査を進め、木棺が良好な状態で残っていた。

 木棺は丸太を半分に割って内部をくり抜いた「割竹形(わりたけがた)」で、長さ約5・6メートル、幅64~70センチ。両端をふさぐ「小口板」などが埋葬時の位置を保ったまま残っており、内部を三つに区画。ひつぎと小口板はコウヤマキ、仕切り板はスギだった。青銅鏡と竪櫛が被葬者の足元側に副葬されていた。

盾形銅鏡

 2022年度の調査で出土。盾形銅鏡は長さ64センチ、最大幅31センチで、土がついた状態での重さが約5・7キロ。古墳時代の倭鏡(国産の鏡)を代表する「だ龍鏡」の図像文様が表現され、渦状文や鋸歯文(きょしもん)が中央に描かれるなど独自のデザインも見られる。太陽のような形の文様もあるなど類例を見ない形状と文様構成で、奈良県立橿原考古学研究所(橿考研)は盾と鏡を合体させた古墳時代人の柔軟な発想力や高度なデザイン力、青銅器製作技術を指摘している。

二つのだ龍文(上下)と太陽のような形の文様(左右)を配置した盾形銅鏡=2023年1月20日、橿原市畝傍町の県立橿原考古学研究所

蛇行剣

把(つか)や鞘(さや)に装飾も

 盾形銅鏡と同じく出土した蛇行剣は長さ2メートル16センチ、幅6センチの刃部が蛇行する形状で、柄(つか)に収める部分の「茎(なかご)」を含めた全長は2メートル37センチ。これまでの出土で国内最大とされていた長剣(1メートル15センチ)の倍の長さで東アジアでも最長、4世紀後半の古墳からの出土は蛇行剣として最古例になる。橿考研は「破格の長大さであり、高度な鉄器製作技術が駆使されている」としている。

 その後の調査で、柄(つか)頭などに漆を伴う装具の痕跡や、漆の表面に水銀を主成分とした赤色顔料「辰砂(しんしゃ)」の付着を確認。鞘(さや)は木製で、鞘口付近に網目状や筋状の組織をもった漆層の重なりがあることも分かった。

 また、これまでに例のない構造の把(つか)や鞘(さや)、鞘尻の先に地面から保護する役目の石突(いしづき)が装着され、刀と剣の特徴を併せ持つ特殊な構造だったことが明らかになった。

 調査で確認された把は手で握る部分以外に黒漆が塗られていた。現存部分の計測で高さ9センチ、幅18センチ、厚み4.5センチ以上の楔(くさび)形把頭や、長さ9センチ、幅3.5~4センチの突起をもつ把縁突起を装着することが判明。楔形把頭の表面や側面には文様もみられた。把を入れた蛇行剣の全長は2メートル54センチとなる。

 把縁突起は剣特有、楔形把頭は刀特有のものだとされる。楔形把頭は古墳時代中期(4世紀末)以降に出現すると考えられており、最古の例が剣で確認されたことになるという。

 また、鞘の木材はホオノキで、鞘口と鞘尻には黒漆が塗られ、文様があることも分かった。鞘尻の先には、剣を立てて置く際に鞘尻が地面に触れないようにするための石突が装着。長さ18.5センチの細長い形状で、これまでに例がないという。石突の先端から把頭までの全長は2メートル85センチにおよぶ。

把(手前)などの特異な全体像が明らかになった蛇行剣=2024年3月26日、橿原市畝傍町の県立橿原考古学研究所

青銅鏡3枚と竪櫛(たてぐし)

被葬者の手がかりとなるか?

 2023年度の調査で良好な状態で見つかった木棺内に副葬されていた。鏡3面は南東側の副室の南東端に重ねた状態で置かれていた。いずれも鏡面が上を向いており、現時点で鏡の種類は不明で今後の調査が待たれる。竪櫛9点は主室の南東端でまとまって出土。竹製で漆が塗られていた。

木棺に収められた3枚の青銅鏡=2024年3月12日
割竹形木棺の構造と副葬品の出土位置イメージ図
鏡(奥)などが見つかった木棺

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