【富雄丸山古墳 特集】出土品(~2021年度調査)
出土した特徴的な埴輪
円筒埴輪
墳丘の1段目と2段目の平坦面ごとに使用する埴輪(はにわ)を使い分けていたことが分かった。1段目は円筒埴輪が並んでいたのに対し、2段目は側面にヒレの付いた鰭付(ひれつき)円筒埴輪が樹立していたことを確認した。

墳丘北東部に取り付く「造り出し」は平たん面に直径3センチ程度の石が敷き詰められ、直径約30センチの円筒埴輪(はにわ)が14本あった。

盾形埴輪
墳丘南東側に造り出しとの境にあたるくびれ部裾の外側では、樹立した盾形埴輪の基底部1基が見つかった。前方部が短い帆立貝式古墳の茅原大墓古墳(桜井市、4世紀末ごろ)でも、同じような位置で「盾持人(たてもちびと)埴輪」が出土していて関連が注目されるという。

囲形埴輪に収めた家型埴輪
2021年度の調査では、囲形(かこいがた)埴輪の内側に家形埴輪を配置した珍しい埴輪も見つかった。墳丘南東側、1段目平坦面の礫(れき)敷きに置かれた状態で出土。囲形埴輪は一辺約60センチ、家形埴輪は一辺約30センチの方形。家形埴輪の内部に仕切りのある特殊な構造だった。
囲形埴輪の内部に家形埴輪を収めた埴輪は、心合寺山古墳(大阪府八尾市)や宝塚1号墳(三重県松阪市)など近畿地方を中心に見つかっており、時期は5世紀前半ごろが中心という。これらの古墳では、墳丘から張り出す「造り出し」のくびれ部から埴輪が出土。これら埴輪は導水施設を表現するものが多く、水の祭祀(さいし)を表していると考えられている。

墳頂部の埋葬施設と副葬品
富雄丸山古墳の墳頂部は明治時代に盗掘され、1968(昭和43)年、その際に出土したと伝わる遺物を京都国立博物館(京都市)が購入した。同館所蔵品は碧玉製の合子、管玉、臼玉、鍬形石、琴柱形石製品、石製模造品、有鉤釧形銅製品、銅板がある。
また天理市の天理参考館は「伝富雄丸山古墳出土品」として三角縁神獣鏡3面を所蔵している。
墳頂部の調査は1972(昭和47)年に行われ、ひつぎを粘土で密封する埋葬施設「粘土槨(かく)」が見つかった。粘土槨をつくるために2段に掘り込まれた穴の大きさは南北10・6㍍、東西6・4メートル。平面規模は全国最大規模の粘土槨になる。
副葬品は管玉、鏃形石、鍬形石、鉄剣、鉄刀、鉄やり、鉄鏃、農工具、漁具、巴形銅器、筒形銅製品、銅鏃などが出土した。鍬形石は破片で、京都国立博物館所蔵の鍬形石の欠損部分と合致することが判明。同館所蔵品が確かに富雄丸山古墳の出土品であることを裏付けた。
2019年度の調査では中国製の銅鏡「斜縁神獣鏡」の破片が見つかった。また儀礼で食物を供えたと考えられる土製円盤(直径2~2・5センチ、厚さ約0・5~1センチ)2枚や鉄器なども出土している。
三角縁神獣鏡
富雄丸山古墳から出土?
富雄丸山古墳出土と伝わる三角縁神獣鏡3枚が天理参考館(天理市)に所蔵されているが、他の古墳のものとする調査もある。
中国製銅鏡の破片見つかる
2019年度の調査では、墳頂部から中国製銅鏡「斜縁神獣鏡」の破片が見つかった。「卑弥呼の鏡」とされる三角縁神獣鏡のモデルになったとの説もある鏡。出土した鏡片は長さ約3センチ、短い部分の幅約1・5センチ、厚さ約1ミリ。神像の脇侍の仙人像の一部と丸い突起があり、直径約16センチの斜縁神獣鏡の一部とみられる。発掘調査体験会に参加した男性が発見した。
斜縁神獣鏡は3世紀ごろに中国北東部から朝鮮半島北部の地域で製作されたと推定。国内で45面確認されているが、円墳では金比羅山古墳(京都府宇治市)など数例で珍しい。
