民俗博物館の収蔵問題 廃棄避ける議論を - 論説委員 増山 和樹
奈良県大和郡山市の県立民俗博物館で、収蔵能力を超えた民具の扱いが問題となっている。館内の収蔵庫は30年以上前からパンク状態で、県立高校の廃校舎などを使って保管してきた。
山下真知事はこの問題に対応するため「民俗資料の収集・保存の奈良モデル」を策定し、同じような課題を抱える全国の博物館に示したい考えだ。具体的には収蔵品を3D画像などでデジタルアーカイブ化、市町村や民間への譲渡も検討した上で、引き取り手がなければ廃棄する。
長年の課題に向き合う姿勢は評価されるべきだが、欠けている視点がある。収集した責任と寄贈者の思いだ。同館が収集してきたのは大正から昭和初期の生活用具や農具などで、実際に使った世代の多くは鬼籍に入ったと思われる。廃棄寸前に引き取った民具もあるだろう。だが、茶碗一つでも県が責任を持って収集・保存してきた民俗資料であり、廃棄するには県民の理解が欠かせない。
そういう目で見た場合、当初から「廃棄やむなし」で臨む知事の姿勢はいかがなものか。市町村や民間に引き取り希望がどれだけあるのか、整理の徹底でどれだけの収蔵スペースが確保できるのか、十分議論・検討した上で県民に説明し、その上で結論を出すのが筋だろう。
いずれの民具も生活と共にあり、県内の暮らしを物語る。だからこそ、その価値を認めて保存されてきた。山下知事が会見で述べた「価値のあるものだけを残す」という考えは、民俗資料に限らず、土器などの出土資料においても当てはめるのは難しい。文化財指定の有無は保存か廃棄かという議論の基準にはなり得ない。
同じ種類の民具が重複してあるのは面としての文化や形式変化が見られるからで、現物から得られる情報も多いと思われる。出自情報や3D画像など、山下知事が表明した収蔵品のデジタルアーカイブ化はぜひ進めるべきだが、廃棄の前作業であってはならないだろう。製作、使用、保存とそれぞれの民具が積み重ねた歴史を軽く見れば、将来「残しておけばよかった」ということになりかねない。
収蔵には限界があり、収集や保存の基準づくりは必要だ。だが、後付けのルールを既存の収蔵品に当てはめるのは無理がある。今後の収集に適用し、既にある収蔵品はできる限り廃棄を避けるのが収集した県としての責任ではないか。「奈良モデル」はそのような姿勢の延長にあるべきだろう。