社会
焼夷弾から無我夢中で逃げ 奈良の梅本咲子さん - 語り残したい私の戦争の記憶―雑記帳の集い(サロン)会員に聞く(中)
「戦争をしないという選択を一番に考え 行動してほしい」
阪神工業地帯の中核だった兵庫県尼崎市は、鉄鋼や電力などの工場が多く集まり、太平洋戦争期は軍需生産を行っていた。米軍の4回目の大阪大空襲があった1945(昭和20)年6月15日には大阪に隣接する尼崎も爆撃機B29の攻撃目標とされ、市街地が焼け野原となった。
「戦争をしないという選択を一番に考え 行動してほしい」
阪神工業地帯の中核だった兵庫県尼崎市は、鉄鋼や電力などの工場が多く集まり、太平洋戦争期は軍需生産を行っていた。米軍の4回目の大阪大空襲があった1945(昭和20)年6月15日には大阪に隣接する尼崎も爆撃機B29の攻撃目標とされ、市街地が焼け野原となった。